当サイト管理人の自己紹介

名前/ TAKA

生年月日/ 1973年08月29日
血液型/ B型
出身地/ 兵庫県神戸市
現居住地/ 北海道札幌市
職業/ 某ラジオ局勤務

初めて免許を取ったのは高校2年生のとき。原付免許でした。校則で禁止されていたので秘密で取得。当時はクラスの一部の男子の間で原付で峠を攻めることが流行っていたので、親に買ってもらったスクーターでさっそく峠デビュー。スグに人生初のクラッシュを体験。親には言えずに内緒で修理をした。(^^;
この頃、仲の良かった親友がクルママニアで、一緒に自動車雑誌を読みあさり、高校3年で大学入試が終わり次第普通免許を取得。うれしさで、とにかくクルマを運転したくてガソリンスタンドでバイトをする。
大学1年の秋、貯めたバイト代を元手に初めてのマイカーを購入。中古の昭和62年式セリカZRだった。 しかし、このセリカは約3週間で廃車となる。大学の友人達とのドライブで、運転を代わった友人が高架道路の壁面に激突。
その後、その友人の親が「申し訳ない」と同じクルマを買ってくれた。が、微妙に同じではなかった。今回のクルマは、セリカGT-R(ST162)。前のセリカのエンジンは経済的なハイメカツインカムだったのに対して、今回のセリカのエンジンはスポーティなツインカムエンジン(3S-GE)だった。このスポーティなエンジンに導かれるように、某阪●高速道路や峠などに走りに行くようになった。ジムカーナの練習会に参加もした。
そして、この頃始めたバイトがオート●ックスの店員。1日中クルマに囲まれ、パーツやオイルも従業員価格で買えて、閉店後にピットも借りられるというクルマ好きには夢のようなバイトだった。

最初の愛車「セリカZR
わずか3週間の命だった…

2台目となる「セリカGT−R
このマシンのおかげで走り好きになった。

 

そして、大学卒業直前、就職も決まっていたオイラは、憧れだった「新車」を購入。当時の最新技術であったスポーツシフトATを搭載し、カー・オブ・ザ・イヤーも受賞した三菱・FTOだった。「新車も買ったし落ち着こう」と思った矢先に、北海道への移住が急遽決定。
そして、やって来た北海道で出会った仲間達の影響もあり、某チームに所属して週末になると某支●湖線に走りに行く生活に…。
そして、北海道に来て2年目の夏。峠で横転クラッシュ。FTOは当然廃車。残り4年弱のローンを残して…(涙)当然ながら警察にも大目玉を喰らい、「社会人としてこれはマズイ」とさすがに今回こそは走りから引退を決意。
このとき当面の移動手段にと会社の先輩に格安で譲ってもらったのがセリカ。またセリカである。しかも、学生時代と同じ型。さすがに3回もセリカに乗ることになると運命を感じた。当時のセリカのCMのコピーが「セリカの男」だったが「これってオレのことか?」なんて思ったりした。

初めての新車だった「FTO
ローンを残して峠の餌食に…(涙)

またまたの「セリカGT
さすがにセリカとの運命の絆を感じた。

 

それから約2年後。中古のインプレッサを購入。高校時代からセリカを操るサインツカンクネンに憧れ、ラリーに憧れてきたオイラにとってインプレッサは憧れのマシン。信頼のおけるディーラー系中古車店で格安のインプレッサがあったので、ほぼ即決に近い衝動買い。
そして、すぐにインプレッサのオーナーズクラブレプリカと出会う。一目で憧れて、そこから試行錯誤でレプリカ作りに励む。このレプリカ作りのおかげでラリーにも詳しくなった。
そして、運命の2000年。世間はミレニアムなんて言葉で盛り上がっていたころ、インプレッサに乗る友人から悪の道への誘いを受けてしまう。「ダートラやってみない?」。実はインプレッサを買ってからメンテナンスをお願いしているショップであるAIMは、店主がラリーの元北海道チャンプということもあり、そこでラリータイヤをもらっていたのだ。友人の話を聞けば、超初心者でもOKでガードやロールバーも不要なくらい安全だという。それであれば試しに出てみようということになり、初めてダートラの練習会イベントに参加。「超初心者クラス」というステキなネーミングのクラスで出場し、間違ってクラス優勝なんてしちゃったものだから、すっかりダートラの虜に…。インプレッサにロールバーを装着、アンダーガード、タンクガードを付けて、とりあえずのダートラ競技車両を作っちゃいました。そして、仲間といっしょにジュニア戦のクローズドクラスに参加。当然マシンのカラーリングはレプリカのままなので、我々のマシンの周りを見るとWRCのサービス会場の様で異様に目立っていたようです。
この頃、仲間たちと「マラマラ隊」なる謎の集団を結成。ダートラ会場に派手なレプリカマシンで乗り付け、とにかく大騒ぎして楽しむというのが活動内容だった。
しかし、2002年、練習会でインプレッサが転倒、廃車。(ちなみに、その日はオイラが同乗走行した友人のインプレッサも転倒。もう1人のインプレッサもエンジン不調に陥るなど、のちに「マラマラ隊史上最悪の日」として語り継がれることになった。)

初めての4WDターボ「インプレッサ
レプリカにダートラに目覚めた1台

とある日のダートラ場でのマラマラ隊
こりゃ目立ちます!

 

しかし、もうすっかりダートラの魔力に取り憑かれたオイラに「もうやめよう」という思いは浮かばず、その場でインプレッサのパーツのバラ売りを開始して、3日後には代替戦闘機としてヴィヴィオを手に入れていた。
そのヴィヴィオも、入手して1週間後にはロールバー、ガード類も装着して、ダートラ車両になった。ちなみに3週間後にはレプリカも完成した。
そして秋からはヴィヴィオで、ダートラのジュニア戦に参戦。しかし、ダートラではクラス分けの関係上、格上であるミラージュストーリアといったマシンと同じクラスで走ることになり、まったく歯が立たず歯痒い思いをすることに。(もちろんマシンだけのせいではないが)
この年の冬、再び悪への誘いがやって来た。行きつけのショップで、冬のトライアル用のスパイクタイヤの相談をしていたのだが、店主から出た言葉は「ラリースタッドレス買えば?」。(おいらは、公道で使えないスパイクに高い金を払うことに躊躇していたのだ。)そして、次に出た言葉は「で、ラリーやればいいじゃん」。そこから、「いや、ラリーコンピュータとか消火器とかインカムとかの装備もないし。」「貸してやる。」「ナビもいないし。」「オレがやるか?」などというやり取りがあり、衝動的に「ぢゃ、やってみようかなぁ〜。」という結論になった。
そして、数回の練習だけで迎えた初めてのラリー。 しかも、いきなりスノーラリー。ダートラとちがい狭い道幅にビビリモード全開。しかも、スタッドレスで走る雪の林道は恐ろしく滑る。当然ながら最下位争いです。しかし、滑る路面で各車トラブル続出。他車のリタイヤが相次ぎ、完走したオイラはなんと2位という結果に。これはおもしろい!ダートラと違ってヴィヴィオでも勝機があるかも!?と調子にのり、この年からJMRC北海道ラリーチャレンジシリーズに参戦を開始。1年目の2003年は、ダートラもやりながらラリーに参戦して、クラス5位というシリーズ成績を残した。
2年目となる2004年には1戦目で待望の初優勝を飾るものの、夏場になるとミラージュ勢に歯が立たず、ずるずるとランキングは後退して、結局シリーズ4位。
2005年も初戦で優勝するも前年同様のパターンで、シリーズ5位で終了。
そして迎えた2006年。この年から規定が変わり、チャレンジシリーズはジュニアシリーズとなり、クラス分けも変わりミラージュやシビックとは別のクラスになった。純粋に軽自動車のクラス(ストーリアとヴィッツはいるけど、1400cc以下)となり、マシンハンデはなくなった。そして、ついに、シーズン2勝を挙げて念願のチャンピオンを獲得!
2007年は、ランクアップして、地区戦に挑戦。1戦目から4戦目まで連続2位で、ポイントランキングトップで迎えた第5戦でコースオフ。相棒ヴィヴィオが廃車となり残りのシーズンを欠場。結局、このシーズンは4位という結果だった。
そして、2008年は、今後のために体制を立て直すために、マシンを用意せずに状況をみることに…。決して「引退」ではないですよ。(^^;

ラリーで頑張る「ヴィヴィオ
最初は赤色でした。

左のマシンと同じクルマです。
舗装ラリーでのクラッシュの修理の際に全塗装しました。

2007年までの2ndカー「インプレッサ
買い物や旅行など日常のアシとして活躍しました。

2007年からの愛車「レガシィ ツーリングワゴン
買い物や旅行など日常のアシとして活躍中!

 

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